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明智光秀に所縁のある【坂本城址公園】とその歴史をご紹介します。

2021年3月24日

坂本城は、現在の滋賀県大津市下坂本の琵琶湖沿岸に明智光秀が築城した城ですが、今はその姿はありません。

その歴史は、15年と大変短いものでした。今は、「坂本城址公園」にその歴史が紹介されています。

今回ご紹介する内容

大河ドラマ「麒麟がくる」の明智光秀に所縁のある「坂本城址公園」をご紹介します。

これから「坂本城址公園」に行かれる方の参考にしていただければ幸いです。

 坂本城址公園の紹介

当時の歴史を感じられるように「明智光秀」像が琵琶湖を望む公園に立位しています。

明智光秀の句「われならで誰かは植えむ、一つ松心して吹け、志賀の楠風」の碑が明智光秀像の近くに献上されています。

明智光秀像を眺めていると、ここに坂本城があった時には、明智光秀が琵琶湖を眺めながら、政務を行っていた姿が想像出来ます。

また、近くには、明智光秀が紹介されている碑が設置されていますので、この坂本城址公園の歴史を学ぶ事が出来ます。

詳しくは、「坂本城址公園」のホームページをご確認下さい。

坂本城址公園

明智光秀と明智光秀の句

坂本城跡

琵琶湖にせり出した水城で、今では想像できないくらい大きいお城だったのが、わかります。

坂本城のご案内

坂本城は、琵琶湖の面した水城として。安土城に先行する日本で最初の石垣と瓦葺きの天主を持つ城でした。

坂本城が今の下坂本に築城されたのは、物質の上陸地点であった事と、坂本と比叡山延暦寺のつながりを断つためでした。

坂本城の歴史

1571年
(元亀2年)
織田信長の命により明智光秀が、滋賀県大津市下坂本の地に築城しました。
1580年
(天正8年)
坂本城として普請しました。
1582年
(天正10年)
坂本城は残念ながら炎上し、焼失しますが、丹羽長秀、後の豊臣秀吉の命により、
再建されます。
1583年
(天正11年)
杉原家次が一旦城主になりますが、同年浅野長政が城主になります。
1586年
(天正14年)
浅野長政が棄城します。
坂本城の歴史

まとめ

大河ドラマになる前から、歴史を変えた明智光秀に興味がありました。

でも織田信長、豊臣秀吉などにスポットをあてた教育が多かったので、あまり身近に感じる事は、出来なかったのですが、今回に大河で明智光秀、坂本城が注目を集めて、歴史の分岐点に京都と滋賀があった事に感動しました。

 坂本城址公園は、琵琶湖沿いにあリますので、景観が良く、落ち着いた公園です。

明智光秀の足跡と歴史を感じる「坂本城址公園」に訪れてみては、いかがでしょうか。